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MINDEがいっぱいMINDEでつながる三好の未来が生まれる交流拠点

四国のほぼ中央に位置することから四国の「へそ」と呼ばれてきたこの町は、交通の要所として栄え、四国有数の宿場町として多くの人や物資が往来したことから、文化交流の場でもありました。

また、幕末から明治にかけて「葉タバコ(刻みタバコ)」の一大産地として栄えた町。
ここには、タバコで財を成した家々が立ち並ぶ「うだつの町並み」があり、当時の息吹が今なお残ります。

そんな町で地元住民から長年守られてきた旧真鍋家の商家が、地域の交流拠点施設として更に愛される場所に生まれ変わります。

昨年はラフティング世界大会が行われ、今夏にはウェイクボード世界大会も開催され、世界から人が集まり、移住者、移住希望も増えてきています。

交流施設では、古き良き時代に想いを馳せながら、この町に縁のある人々が集まって、いくつもの交流が繋がって、三好の未来を紡ぐ場所になりたいと願っています。

三好のまちから色々な“みんで”を

マチの人に長年守られてきた『旧真鍋家』の歴史の息吹を残しながら、新しくよみがえった場所に人を呼び、にぎわいを生み、マチとつながり暮らしを広げていく拠点にすること。
私たちは、三好の素晴らしさを分かち合う拠点づくりに取り組んでいきます。

真鍋屋のこと

今から遡ること150余年。
真鍋家当主、真鍋武蔵氏がこの池田で刻たばこ製造業を始めたのが、万延元年(1860年)のことだったと言われています。

ときは、幕末。
大老、井伊直弼が桜田門外で暗殺された年でもあります。

義弟の利三郎氏もまた、同じく刻たばこ製造業を行なっており、明治27年(1894年)からは、共同して事業を拡大していきます。

この二人の尽力により、池田における刻たばこ製造業の発展に大きく寄与しました。

その後、明治38年(1905年)に民営の刻たばこ製造業は官営となり、これを機に武蔵家は工場を閉鎖。

利三郎家は場外作業担当工場(官営の民間委託工場)に指定され、大正元年(1912年)まで営業を続けました。

その後、醤油製造業、山林経営へと転業したのです。

ときは流れて平成9年(1997年)。
当時の当主である靖郎氏が、一部二階建て延べ110㎡という刻たばこ工場であった藏を改造し、『まちかど資料館』として生まれ変わらせました。

二階には、刻たばこ関連の資料や写真、一階には、明治から昭和にかけての版画やガラス製品などを展示。
長年、町民に親しまれる施設となりました。

そして、平成30年。
真鍋家の好意により、土地家屋を無償にて三好市へ寄贈され、新たに地域交流拠点施設として生まれ変わりました。

真鍋家の地域振興に対する功績を称え、後世に伝えることを目的に『真鍋屋』と命名。
また、若い世代にも愛されるよう、愛称を『MINDE』とし、新たな歴史を刻むための幕が上がりました。

MINDE MIYOSHI

愛称MINDEのロゴについて

三好市池田町は周囲を急峻な四国山地と阿讃山脈に囲まれた山間の町で、文字通り「山あいの町」。

ロゴマークの上部の黄色は、山間にある三好の「三」にちなみ三本線で。またその形は三好の「M」、真鍋家の「M」、池田マチの「M」というこの場所にちなむ「M」をシンボルとして表現しています。

愛称「MINDE」は、地元でよく使われる方言。 寄ってみんで、来てみんで、してみんで、住んでみんで、食べてみんで…の「MINDE」。 かつて、<たばこの集積場>また<交通の要衝>として、人やモノの交流が盛んで、繁栄した商人の町の「ちょっと気軽にしてみない~?」といったニュアンスもある前向きでチャレンジ精神の宿る言葉が、交流施設でたくさん交わされることを願ってネーミングしました。

ロゴデザインは、地元の池田高校野球部のカラーリングを盛り込み地域に愛着のあるデザインに仕上げています。

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